橘倉酒造について

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とっくり

「古い文明は必ず美(うる)わしい酒を持つ」と云われる如く、日本酒は民族の酒として古来連綿と受け継がれて来た文化の滴(しずく)であります。
 当社も元禄以来三百余年の間、酒造り一筋に励んで参りました。先人の志と技を継承しつつ、それを支えて下さった愛飲家のご期待に応えることで、伝統を育んでまいりました。
 ここ信州佐久は、寒冷な気候風土が酒造りに最適であり、清冽な水と豊富な米を以て酒を醸して参りました。  

 
  昔の出荷風景  

 もとより酒は、所謂「工業産品」に非ずして、美しい風土と微生物(麹菌の糖化作用と酵母菌のアルコール発酵)がもたらす「自然の賜(たまもの)」です。

 明治以降、近代化といわれる機械化・合理化・画一化の中で、ともすれば人の心までもが殺伐とした現在、私共はこの佐久の大地に根ざした酒造りを目指します。米作り農家の皆さんと共に原料の吟味・厳選に努め、杜氏はじめ蔵人の人達とは製法・加工の純正・伝統性を重んじて美酒を造る。私達が背負う歴史と文化を次世代に伝えながら、自然と人間の営みが醸し出す一滴一滴に、造り人の心意気を込めて参りたいと考えます。  

看板

 時代を越えて、国境を越えて、人の喜びを拡げ、和を結ぶ酒として、橘倉の酒を今後共お引き立て下さいます様お願い申し上げます。

 江戸以前、名主であった井出家は、年貢として米を納める中で、余った米で日本酒を造っていた。蔵として記録にあるのは、江戸元禄年間の初期、延宝五年(1675年)、酒株の受け渡しをしたという古文書が最も古い。酒株とは、いまでいう酒の製造免許のようなもので、当時は数量・石数に制限があったため、作りを増やすために他から余った株を買い足すという習慣があった。創業の年が記録が無く不明だが、三百数十年の歴史を持つ、わが国でも最も古い蔵元のひとつといえよう。江戸から明治にかけては、酒造りのほか漢方の薬なども手がけ、「歳徳神酒菊乃泉」の引き札(ちらし)、明治時代に店頭に掲げていた毒消しの看板など、その歴史を今に伝える資料類も数多く残っている。

 屋号の「橘倉」は、先祖が平安時代には橘姓だったことから、橘の酒倉の意味に由来している。大正8年に合名会社として法人化以来80周年を機に、平成11年7月橘倉酒造株式会社に改組し、新しい時代に相応しい酒屋として新たなる出発。おいしい酒造りへの一徹な姿勢と情熱は脈々と受け継がれながら今日に至る。

米トレサビリティー制度について

 橘倉酒造で製造される日本酒、焼酎、あま酒などに使われているお米、米麹につきましては全量「国産米」を使用しております。

 橘倉酒造は「良い食品づくりの会」にも加盟しており、食の安心安全を皆さんへお届けしております。 平成23年7月1日より、米トレサビリティー制度の中で産地情報の義務が生じました。トレサビリティー制度については以下のURL:農林水産省のホームページをご参照いただきたいと思います。

農林水産省の「米トレサビリティの説明」ホームページ 

アクセス地図

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交通のご案内
●東京方面からJRで
  新宿駅--(中央線)--小淵沢駅--(小海線)--臼田駅
  東京駅--(新幹線)--佐久平駅--(小海線)--臼田駅

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  名古屋駅--(中央線)--塩尻駅-色-(中央線)--小淵沢駅--(小海線)--臼田駅

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  新宿--(中央自動車道)--須玉IC--(R141)--臼田
  練馬--(関越自動車道)--藤岡JCT--(上信越自動車道)--佐久IC--(R141)--臼田

●名古屋方面から車で
  小牧IC--(中央自動車道)--須玉IC--(R141)--臼田
 

 
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