No 005 韮ヶ峠(高知県)~坂本龍馬脱藩の峠~
韮ヶ峠(高知県))

韮ヶ峠(高知県)

土佐桂浜の坂本龍馬像 土佐桂浜の坂本龍馬像
●高知県梼原町~愛媛県西予市野村町
●標高  1,011メートル

 韮ヶ峠は幕末の志士「坂本龍馬」脱藩の峠として知られる。1862年(文久2年)3月26日、同士沢村惣之丞と共に土佐を脱藩し、伊予(愛媛)を抜け周防(山口)の三田尻に渡り江戸に向かった。当時、土佐藩家老吉田東洋の暗殺の嫌疑が龍馬にもかかっており、峠越えは至難だったと思われるが、跡も残さず維新に向かって駆けて行った。国境には関所もあり、もし捕まっていたら明治維新も遠のき日本の歴史も変わっていたのかも知れない。この細い道を少し汚れた袴姿で颯爽と歩いて行った坂本龍馬を想像しながらシャッターを切った。
 その後の龍馬は、日本で始めての貿易会社と政治結社を兼ねた亀山社中と海援隊を結成した。1866年(慶応2年)1月、長州の桂小五郎(木戸孝允)と薩摩の西郷隆盛が、龍馬の尽力で手を結ぶ。


龍馬脱藩のルートが解明されている 龍馬脱藩のルートが解明されている
 今まで犬猿の仲だった両藩が同盟を結んだことで、これまでの勢力図が大きく変わり、倒幕に向けた原動力が出来た。大名とか家老クラスではなくただの浪人である坂本龍馬に藩の未来を預けるほど大きな人物だったのだろう。
 薩長同盟の1年後の11月、京都河原町の近江屋で中岡慎太郎と共に何者かに暗殺された。33歳の若さであった。土佐の桂浜には袴姿で懐に手を入れた独特のポーズの坂本龍馬の大きな像が地元の有志の手で立てられ遠くの海を見ていた。        

韮ヶ峠map

★韮ヶ峠へのアクセス

・高知市から国道56号で須崎に向かい国道197号に入り山あいの道を登って行き県道2号線で韮ヶ峠へ。龍馬脱藩ルートの標識が見える。

★周辺の見所

・坂本龍馬の生家である高知の才谷屋から始まる「脱藩の道」がある龍馬ファンにとっては歩いてみたい路である。


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