「身はたとい 武蔵の 野辺に 朽ちぬとも 留め置かれまし 大和魂」
幕末、思想を生み思想に生きた吉田松陰が、江戸小伝馬町の牢獄から門下生に書き送った「留魂録」の冒頭の句である。火を吐くような句を残して斬首の刑を受ける。享年29。あまりにも早い死であった。安政の大獄は幕府の諸策に対する反対派の一掃と危険思想に対する弾圧事件である。尊王攘夷や一橋派らその数は100名を越した。
吉田松陰が生まれ育った萩に向かった。日本海に面した萩は、静かなたたずまいの町だった。松蔭神社の中に松下村塾があった。平屋で二間だけの小さな私塾だが、ここで松蔭は門下生たちに思想のすべてを教え込んだ。その門下生たちが高杉晋作、伊藤博文、木戸孝允、山縣有朋など明治維新の立役者になって行く。