薩摩半島を更に南下、枕崎を過ぎて九州最南端の峠「耳取峠」に着いた。ここまでやってくるとさすがに遠くまでやって来た感じが湧いてくる。
昔、この地が刑場で罪人の耳を刀で切り取ったので「耳取り」の説や、ここから見える景色が美しいので「見とれる」が転訛して耳取峠になったとされる説などある。
眼下に見える坊津湾は奈良時代、高僧・鑑真和上(688~763年)が6度目の渡来で始めて上陸した地と言われている。唐の国の国禁を犯してまでも真の仏教を教えるため日本に向かったが、台風や時化に阻まれ何度も失敗した。ついには、失明の悲運に遭いながらも上陸ができ、大宰府を経て奈良にたどり着く。
12年の歳月がながれた。聖武天皇の歓待を受け教えを広めた。しかし、政治に利用したい天皇側と鑑真の広める仏教とは次第に乖離していった。そこで鑑真は多くの弟子たちと共に政治の影響を受けない講義ができる寺を作ることにした。これが日本で始めての大学、東招提寺である。