No 011 ザラ峠(富山県)
 ザラ峠(富山県)

ザラ峠(富山県)

戦国の武将 「佐々成政(さっさ なりまさ)のサラサラ越え」
壁のような信濃の山々を佐々成政たちは超えて行った 壁のような信濃の山々を佐々成政たちは超えて行った
●富山県中新川郡立山町
●標高  2,348メートル

 戦国時代の武将、「佐々成政(さっさ なりまさ)のサラサラ越え」と呼ばれる伝説の峠がザラ峠である。戦国時代、織田信長の家臣であった佐々成政は、鉄砲の名手で合戦で功労をあげ続け、信長より越中の国主を任じられていた。天正10年(1582年)本能寺の変で、明智光秀に倒された織田信長の家督を巡る争いで、主導権が羽柴秀吉に渡った。徹底抗戦する成政だったが、越前の前田利家と越後の上杉景勝の両方から攻められ窮地に陥っていた。盟友の徳川家康に援軍を請いに行こうにも西の北陸道、北の日本海側も閉鎖され身動きが取れなくなって行った。
  残された方法は冬のザラ峠を越えるしかなかった。佐々成政以下60名の一行は豪雪で知られるザラ峠を越え向かいの針ノ木峠を過ぎ、信濃から南下して浜松の家康に会えた。が、はかなくも断りを受ける。必死に食いすがる成政だが、援軍を出そうにも秀吉の勢力は頂点に達しており、家康は勝ち目のない戦さを避けた。そして成政一行は、来た道を戻っていく絶望の帰路となる。富山の城に戻った時は半分の30人に減っていたと言う。多くは信濃からザラ峠を越えて帰る際、雪崩に巻き込まれていったらしい。


峠を挟んで雲が湧きあがる冨山側の眺望 峠を挟んで雲が湧きあがる冨山側の眺望
 伝説のザラ峠に立ちたくて立山にやって来た。室堂から歩き始めた。一の越を過ぎ岩場が続く登山道を登る。足元はガレ場に変り、歩きづらく稜線を半日かけて、ザラ峠にやっと着いた。これだけで筆者の体力は一杯だった。帰り道はへとへとになりながら下りて行った。一方、乏しい食料と防寒具で、豪雪の山を越え往復100里(400km)を歩き通すその気力と体力は想像を超えていた。ここに立つと「死にもの狂い」と言う言葉が浮かんできた。昔の武将や侍たちは超人(スーパーマン)に思えた。
 

ザラ峠map

★ザラ峠へのアクセス

・冨山側からは美女平から室堂まで運行バス。室堂から徒歩約5時間。長野側からは扇沢・信濃大町からトロリーバスなどを乗り継いで室堂へ。

★周辺の見所

・立山連峰の見事さや雷鳥を見かけることが出来る。また黒部ダム周辺の散策で大自然と人間のドラマを感じ取れる。


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